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農場のはじまり物語

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​なぜ農業を志そうと思ったのか

長野の佐久で農業をしていた母方の祖父の影響 がありました。桃の農家でしたが、米や野菜も生 産しており、子供の頃は夏休みになると預けられる ようにそこで暮らして、畑仕事も手伝っていました。農作業は好きではなかったですけど。  中 学 生 の 頃、 体 育 の 授 業 で 倒 れ て 不 整 脈 が 見 つ かりまし た。 そ れ 以 降、 毎 月 通 院 し、 薬 を 飲 んで いました。 野 球 に 熱 中して い たので夏場には練習のやり過ぎで倒れることもあり、 医者には「無理すると死ぬぞ」と言われたこともあ りました。  高校 3 年の時、司馬遼太郎の「龍馬が行く」を 読んで「天命」という言葉に惹かれました。「人は 使命が尽きれば死ぬ。死ぬことを恐れず、やるべ きことをやれ」と。人間の生き死を真剣に考えてい たときだったので、腹落ちしたというか、死ぬこと を怖がるより、自分がやるべき事を見つけて、それ を一生懸命やることが大事だと強く感じました。ちょ うど大学受験の時期でしたが、大学で何を学ぶかよ り、大学の名前を優先させて受験する周囲の風潮 がしっくり来ていませんでした。料理が好きだったこ ともあって、料理の道に進もうかとも考えました。  そんなとき雑誌で飢餓の記事を読みました。美味 しいものを食べるとか、食べて欲しいとか言う以前 に、食べる物が無くて死んでいく多くの人たちがいる。 「何でなんだ」と言う思いとともに、自分で何か出 来ないかと考えたとき、祖父の農業がリンクしたわ けです。農業の道に進もうと考えて明治大学農学部 に入りました。両親はびっくりしていましたよ。「何 でだ」と。  農業で飢餓に関わると言えば、ふつう海外で農業に携わることをイメージしますよね。僕も大学を 出るときには青年海外協力隊のことなども調べまし た。農学部を出たからといって、実践的な農業の 経験もなければ、そもそも大して勉強をしていなかっ たので知識も無いことは自分がいちばんよく分かっ ていました。海外に行ったところで何も出来ない。 役に立てるようにするには、能力を身に付けないと いけないと。  でも、当時は今のように農業の会社がなかったの で、どうすれば農業に携われるのか悩みました。た またま外食チェーンの社長と出会い、「将来は農業 を始めるから、うちに来ないか」と誘われて入社を 決めました。最初は採用とか教育研修の仕事でし たが、5 年後に農業生産法人に転籍、そちらで 2 年半やって、2010 年に独立したわけです。  国内で農業に関わっていますけど、飢餓問題へ の取り組みを捨てたわけではありません。高温多湿 で耕地が狭く、病害虫も多い日本で農業(特に有 機農業)が成立するのは、技術レベルが高いから。 その技術を海外に持っていくことで、農業生産を増 大させることができます。ただ、今は自分がそうし た技術を蓄積しなければならない時期と考えていま す。

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​農業を始めるも、試練が・・・

独立したときは 1.6 ㌶の畑を借りて始めました。 野菜は 10 品目ぐらい。失敗の連続です。前の会社では、主に机の上で考える仕事でした。収益構造 をどう作っていくかとか。畑にも出ましたけど、頭で 考えて計画を作っていました。ある程度は改善も出 来たので、独立してもそのやり方で何とかなると思っ ていました。でも、自分でやってみたらそんなに簡 単なものではありません。作るのと売るのとのバラ ンスを取るのが難しいし、作っても売れない。素人 が作った野菜を、いくら美味しい、安全、安心だと 言っても、信用がないのだから誰も買ってくれませ んよ。最初の1、2 年は売れ残った野菜を片端から トラクターで潰していました。独立したときに運営 資金として 2,000 万円を借りたんですが、あっとい う間に無くなってしまいました。従業員の給料を払 うのに精一杯の状態で、農業以外にやっていたコン サルティングの仕事をかき集めて、やっと資金繰りを していました。 それだけに「どうしたら野菜が売れるようになる か」を真剣に考えました。最初は前の会社でやって いたことを行っていたのです。農業者の最大の課題 は物流費をどれだけ圧縮できるか。それを達成する には生産品目を絞って生産量を多くすることが必要 です。でも、前の会社とは規模も資本も全く違います。 個人経営の農場では、それだけの量を生産するこ とも、さばける販売先もないし、所詮出来ない相談 でした。自分たちでなければできない方法を考える のに必死でした。営業をしても断られ続けでしたが、 直筆の営業手紙を何通も書いていたら、ある外食企業のオーナーさんで出会いました。それから、少しずつ好転していきました。 もちろん、その後も苦難は続きました。根拠の無 い自信を持って始めたこともあって「こんなはずで は」の思いが強かった。自己嫌悪の極みですよ。 体重が激減して「お前ガンだろう」と言われたこと もありました。2014 年には大雪に見舞われ、育苗用のビニールハウスや作業小屋など農業施設がすべて潰れました。そのときは「辞める良い口実が出 来た」と思ったほどでした。正直、農業から逃げた かったんですよね。怒られましたねえ。一緒に会社を支えてくれた社 員や、立ち上げのときに手伝ってくれた近くの農家 の人たちから。「働きたくても体が悪くて働けない人がたくさんいるのに、お前はこんな元気で、まだチャ ンスがいっぱいあるのに、こんなんで辞めるのか」っ て。農業以外の仕事で金を稼ぐことが出来たので、 そこに甘んじてもいました。怒られて、初めて農家として生きてゆく腹が決まりました。

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​農家としての日々

農業には日曜とか祝日とかの概念がありません。 相手は生き物なのでこちらの都合に合わせることが 出来ませんから。朝もめちゃくちゃ早くて、夏場などは 4 時前起床です。でも広い空の下で、たくさんの生き物に囲まれて自分の好きなように出来るのは面白 い。自分が作った野菜をお客さんが喜んで食べてくれる。「野菜、おいしいね」と言われると救われるし、頑張れます。一般の農家は農協などに出荷して終 わりですけど、僕らはお客様の顔が見える。ダイレクトに評価をもらえる。それがあるから出来るんです。農薬はいっさい使いません。野菜は虫食いもあり ますけど、お客様は理解してくれています。農薬や化学肥料を使う近代農業は病気や虫を排除する考 え方ですが、今では病気や虫が耐性を作って薬が効きづらくなっています。僕らは虫などと共生しようという考え。虫や生き物が住める場所を作る必要があ ります。それには草がいちばん。病害虫がいるけど、それを天敵とする虫もいて、それを食べる生き物も。そうした生態系を畑のまわりに成立させるのが僕らの仕事です。だから、一般的な農業とは異なり、雑草をできる限り残しながら栽培を行っていま す。最近は工場で野菜を作るように土をまったく使わない栽培方法もありますが、私たちの野菜作りに土は欠かせません。それは、土の中にいる虫や小動物、微生物の働きが、野菜の生育に様々な影響を 与えると考えるからです。土の中、特に微生物のことでは、まだ知らないことがたくさんあります。だから、作物や周囲の状況をしっかりと観察して、自分たちがまだわからないことまで想像して栽培することが大切だと思っています。どんな野菜にも自ら生育する力が備わっています。必要最低限の育つ環境さえ整える事ができれば野菜は勝手に生育してくれます。ただ整え過ぎては駄目で、そのバランスがとても難しい。高温や渇水など、様々な困難を乗り越えながら、うまく育った野菜は味が濃くて香り高い 野菜になります。人間にも通じる部分がありますね。

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​農場のこれから

日本の農業者数(基幹的農業従事者)は、この ままの状態で減少すれば、20 年後に 10,000人になるとも言われています。農家の大半が高齢者なので、農地が管理できなくなることは容易に想像できます。小淵沢も米を作ってい るのは 80 歳を超えている人ばかり。息子の代では やりません。未耕作地が増え、荒れてくる。そうなっ た田畑は簡単には戻りません。誰かが何とかして農業をやり続け、守っていかなければならない。その1 人になるという意志は固いです。でも、畑を個人で管理できるのはせいぜい 5 ㌶ を少し超えたぐらい。この先、規模を大きく拡大す るつもりはありません。むしろ、同じ志の仲間を増やすとか、農業に魅力を感じてくれる若い研修生を育てて独立させるとかの方が、やり方としては良い かな。そうした仲間の生産した野菜を仕入れ、販売する形でネットワークが広げられたらと思っています。野菜は価格変動の大きい商品ですが、年間契約 をして常に同じ価格で買って貰っています。だから、しっかりと生産できれば計画的に売上を上げること ができます。野菜を安定的に生産するために、作 物の栽培に適した「旬」の出荷にこだわっています。美味しく、栄養も豊富でお客様に四季の移ろいを感じて貰うことができます。野菜を安定的に生産する要素のもうひとつが、品目の多さです。品目を絞り込むと生産効率は上がりますが、天候リスクによる 当たり外れが多くなります。だから、多品目栽培で 生産量バランスを取るようにしています。お陰で収支も改善され、当初の借金も完済できました。  日本の農業を守るため自分に何が出来るのか― ―。若者に農業の面白さを伝え、感性の高い人に 農業を志してもらえる環境を作っていくことだと思っ ています。ただどうしたら若い人たちの目を農業に 向けさせることが出来るか、その答えを見つけるの はとても難しいです。

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